複雑な境遇や悩みを抱えている上にさらに加えて検査
結果の告知を受けてしまったならば、本当につらい。
誰もが恵まれた環境に居て「HTLV-Iウイルスに感染して
います」という告知を受けたわけではないと思うのです。
 
 たとえば、
 周囲の反対を押し切ってやっと結ばれたカップルや、
 嫁ぎ先との確執を抱えた嫁の立場だったり、そんな微
 妙な立場にあって出産を控えて妊婦検診で告知された
 かもしれません。
 
 転勤族で幼馴染や親友が遠いところに住んでいて地元
 に相談できる相手が居ないなかで告知を受けたかもし
 れません。
 
 生き辛い気持ちを背負っている人もあるでしょう。
 リストカット不登校や悩みを抱えた思春期をかろう
 じて生きぬいた人が、自分に自信を持てない中で告知
 を受けたかもしれません。
 
 重たい過去の体験や生い立ちの中で心的外傷に敏感に
 なっている人もあるでしょう。
 
 そんななかにあって、ぎりぎりの選択が精一杯の人も
居ると思うのです。
 
だから、
「ウイルスのことを自分の秘密にしてお墓まで胸に秘めておこう」
「恋愛や結婚はあきらめよう」
「赤ちゃんは作らない」
「感染をした子供を生むくらいなら中絶しよう」
「あぁ!いつ発症して死んでもおかしくない運命なんだ」
 
そんなふうに悲観的になっていろんな可能性を閉ざして
しまうことは残念なことだけれども、悶々としてそうい
う答えにしか辿り着けずにいる方たちの悲痛な思いの選
択に対して私は否定的にはなれません。
どんな血の滲むような思いをしてその答えを見つけ出し
たか、その人の悲しみが理解できるからです。
 
誰よりも、そんな答えを選びたくなかったと解っている
のはその方、自分自身だと思います。
けれどそれしか選べなかった悔しさを私は大切にしたい。
だから、たとえ世間から見て悲観的な選択肢でも「是」
として「大変な思いをして良く結論を見つけられました
ね、どうか、一息ここで休みませんか?」と声をかけた
いと思っています。
絶望的選択ではなく、苦しみの中の「第一歩」だと位置
づけて歩いてゆけると良いのではないでしょうか?
 
 私はそんなふうに、軸足を弱者に置きたいと思います。
 
 ウイルス感染の告知は「試練」や「修行」ではありま
せん。
だから、知ったからこそ「何かが出来るぞ」という気持
ちの転換が出来たらいいなと思います。
告知をしてもらったから「活かす」「支えあう」へと繋
げられたら素敵です。
 
 「その程度のこと気にしてどうするの?」
 「くよくよしないで頑張れ」
 と言われたら、周囲との温度差でますます孤立感がつ
 のってしまうかもしれません。
 「他人はわかってくれない」と心を閉ざせばさらにPTSD
 が重くなりやすいでしょう。
 
 かろうじて自分を見失わずやっとの思いでウイルスを
抱えたまま生活されておられる方たちと、私は真正面に
向き合いたいと思っています。
 
 追い詰められてくじけた人にこそ相談の窓口や救いの
手が必要です。
だけど、自助グループや交流会などの仲間の居る場所へ
参加しようと行動するためには、周囲の理解や良い環境
と一歩踏み出すきっかけが必要だから、そんな簡単に参
加を決心できない人も多いでしょう。
外の世界へ気持ちが向くようになるまでには長い道のり
を必要とする人もあるだろうと思うのです。
 
みんなが集ってわいわいと親睦する会へ出ることが出来
ない、まだ仲間を作る気分じゃないけれども、孤独だか
らこそ手助けが必要だというところに居る人へどうやっ
たら、心が安らかになってもらえるか?
 遅々として活動は進んでいなくて申し訳ありませんが、
私が告知を受けたことが、誰かの得になれば甲斐があり
ます。きっと、共に歩いていく仲間として出来ることが
あるに違いないと。
JSPFADなどの研究者へサンプルの血液を提供して特効薬
発明につながる手がかりをプレゼントすることも、その
ひとつだと考えています。
添乗員やファシリテーターの役目が担えたらいいなぁと
そんな気持ちで「ふきのとう」をやっています。