今日は北海道のお天気、あいにくと小雨やミゾレ模様の
ところもあって、寒さが戻ってしまいました。
でも、小鳥たちは一足早く春の様子で、盛んにさえずり
飛び回っています。
近くの川に居た白鳥も北へ旅立ちました。
北海道の小中学校の卒業式も終わり、春休みです。
 
もう本州の各地では、桜がほころんでいるようで、
うらやましいですね。
 
 映画「めがね」を観ました。
めがね(3枚組) [DVD]
まったりとした空気が不思議で楽しい映画です。
どこへ行くでもなく、何をするでもなく、
ただ「たそがれる」時間の旅と言えばよいのかな・・・。
 
 映画の中に出てくるのが与謝蕪村の俳句
「春の海 ひねもすのたり のたりかな」でした。
蕪村は、春の風や白梅の句をたくさん詠んでいるそうで、
摂津国(大阪市都島区)に生まれた彼は、旅と春が大好き
だったのかもしれません。
 
黄昏(たそがれ)って「太陽が沈んで暗くなる夕刻」という
意味だけでなく「物事の盛り上がりの終わり時」の意味も
あるのだそう。
「たそがれる」は卒業の思い出作りの旅行にぴったりかも。

 やっと雪がとけてきて、我家の庭に福寿草の花が咲き
ました。

 アイヌ語で「クナウ」と言うそうです。
雷の神の末娘である霧の神クナウの名から付けられたも
のとか。
春一番のあざやかな黄色を黄金の輝きだと美しく感じて
 「フクジュソウの花の雫の中から掘り出したような
   神の宝刀を私は貰った」
と言う表現に使われたりしています。

アイヌ文化振興・研究推進機構 アイヌ語講座テキスト
 参照:http://www.frpac.or.jp/ins/radiotxt.html
平成15年度平取町二風谷アイヌ教室(萱野茂講師)第2期(03-2.pdf)
レッスン22 季節の表現「春になる」のページをごらんください。


特徴は「スプリング・エフェメラル」というのだそうで、
初春に花を咲かせて実が出来る夏には葉が枯れてしまい
それから春までを地下で過ごすという植物です。
カタクリユキワリイチゲやセツブンソウなどがこの仲間
です。
地上部に葉を広げて姿を見せているのは1年のうち春先の
わずかな期間でしかありません。
だからでしょうか、花言葉は「幸福」「思い出」など、
短い生命を咲かせて春のうちにすべてを終える、はかない
妖精のイメージがあります。

 ずっと前にNHK日曜美術館の番組で紹介されていて
とても印象に残っていた絵がありました。
三橋節子さんという画家の「花折峠」という作品です。
 
なんともいえない白と朱色の美しい絵で、京都からの
若狭街道にある峠に伝わる昔話をモチーフにしたもの
だそう。
他にも琵琶湖周辺の昔話をアレンジした物語で、二人
の子供のために書いたという絵本「雷の落ちない村」も
とても素敵な作品です。
 
たまたま今日、この三橋節子さんについて書かれた本
を図書館の棚で見つけたので読んでみました。
 病の中であっても心から画を描く喜びがあふれてい
て、だからこそ見る人の心をうつのではないか?
「芸術家は真実を知らねばならない、また知るべきだ」
というとても重たい一言が心から離れません。
 
 「梅原猛著作集〈16〉湖の伝説
梅原猛著作集〈16〉湖の伝説 (1982年)
(1982年)」
  (梅原猛(著) 出版社: 集英社 絶版)
 
 
 作品については、
 「大津市長等創作展示館・三橋節子美術館」
 (参照:http://www.lbm.go.jp/kenhaku/shoukai/09.html)

 夫の父が一月三日に亡くなった。
 
なんだか、どう書いてよいのか、迷っているうちに今に
なってしまって・・・。
やっと、何か書いておきたいと思えるようになってきま
した。
しばらく書けなくてごめんなさい。
 
 私は事情あって実の父とは別れて育ったので、主人と
の結婚で、やっと「お父さん」とよべる人が持ててとっても
嬉しかったのでした。
将棋が趣味で強くって、相手をしてもらった私や我娘は
負けて悔しがって、楽しい時間を過させてもらっていま
した。
無口でシャイで、ちょっぴりガンコ(?)なお父さん。
 昨年の夏に癌の宣告を受けて、それでも気丈に仕事を
続けながら、通院で抗癌剤治療を受けていたのです。
十月の連休に我娘とお見舞いに行ったときにも、元気で
近所の無印良品のお店へでかけたほどでした。
 
クリスマスが過ぎて体調を壊して、大事をとって入院し
ましたが、我娘と上京して年末に病院へ見舞ったときに
も、三が日が過ぎたら退院し家族皆でのんびりする予定
だったのです。
 
この冬休み娘とは、日本らしいお正月を体験させたいと
初めて京都の初詣で関西への旅行を計画していたので、
病院へお見舞いに寄った足で、新幹線で関西へ向かいま
した。
けれども、一月三日の午前。
東京へ戻る途中の新幹線の中で訃報のメールが届きました。
初詣の八坂さんのお守りやお土産の京都のお漬物を手に
握ったまま呆然としてしまって・・・。
 
 前日までは、ホントに退院を心待ちにして、元気だっ
たのだそうです。
私たちよりも、ふだん一緒に暮らしていた妹たちの方が
何倍もショックでつらい日々だったろうと思います。
十一日のお葬式までは、何をどうしたらよいか時間が凍
りついたようでした。
 
もしも・・・。
もしもそばについてあげる時間があったならば、いろん
な話をしながらリンゴやミカンをむいたり、差し入れの
手料理でも作ってあげたかったなぁと思います。
 
 自分自身も中年になってきたせいか、家族だけじゃな
く、昔の仕事の先輩や友人とかお見舞いをする機会が増
えてきたように感じます。
HTLV-Iによる病と闘って入院中の仲間もたくさん居ます。
すこしでも、入院生活が良いものになるように、自分に
も出来る何かがあればいいなぁ。
 
心がこもった一皿の料理、もっとたくさん覚えたい、
 「あなたのために いのちを支えるスープ」
  (辰巳 芳子(著) 出版社: 文化出版局
   ISBN-10: 4579208250  )
     あなたのために―いのちを支えるスープ

 厚生労働省が、やっと動き出しましたね。
ウイルス性肝炎の問題、いろいろな話が出ていますが、
薬害だけでなく「予防接種の注射針感染」「輸血感染」
「医療器具からの感染」などの広いケースについても
救済されると良いですね。
もっともっと官僚の人たちが「感染者の安心」を重要
なことだと意識してくださると進展があるかもしれま
せん。
たとえ少数の意見であっても、それを渇望している者
のところへ手厚い配慮がなされる決定であって欲しい
です。
 
 一月ほど前に書いた「タンポポ作戦」の本、その後、
関連するテーマの本を読み漁っていて良い本にめぐり
あいました。
 
 「自由からの逃走」
  (エーリッヒ・フロム (著) 日高 六郎 (訳) 
   出版社: 東京創元社自由からの逃走 新版
   ISBN-10: 4488006515 発売日: 1965/12)
 
作者のフロムはヒットラーのナチに追われてフランス
からアメリカへと移住した社会心理学の先生です。
1941年に書かれた本ですが、現在の世界の状態を言い
当てたかのような内容です。
 
 自由とは誰しもが望むものですが、その自由によっ
て依存や従属から解放された反面、自由が人間にもた
らす「重荷」=「孤独感」を背負ってしまう。
それによって人はやがて、せっかく手に入れた自由を
ないがしろにし、権威主義機械的画一性へと流れて
しまうのではないか?と、社会現象における心理的
因を指摘した本です。
その末路は、不平を言わず耐え忍び、権力者に服従
媚びへつらうことによって自分の地位を確保し破滅を
回避するというような暮らしに落ちてしまう。
自由の成長する過程にそんな悪循環がおきないように、
私たちみずから、一人一人がありようを考えて、自由
でありながらも孤独や不安を抱えることがないように
配慮した社会作りを目指すことが求められているので
はないでしょうか?
古い権威や束縛からの解放を目指し、自由のための戦
いをしている時には、言論の自由から始まって、独立
と自律と合理性を手に入れることが重要に感じられて
きたでしょう。
でも次の段階では、もっと自由の否定的な側面につい
ても深く考えていかなくてはならないと、この本は問
いかけているように感じました。

 昨晩のNHK教育テレビサイエンスZEROで骨髄幹細胞
を使った再生医療について放送がありました。
血管や筋肉だけでなく、脳の神経細胞を再生する臨床
試験の事例が紹介されてました。
もしもこの技術が脊髄の神経をも再生することが可能
なのであれば、HAM患者の皆さんの機能回復に希望が持
てるかもしれません。
脊髄損傷や炎症に対する中枢神経系の再生を可能とす
ることを目指した研究も進んでいくと嬉しいです。
もちろんまだ臨床試験の途中ですが、もし成功すれば、
寝たきりだった病態の患者さんが歩けるようになる夢
がかなうようになるかもしれません。
ぜひ、副作用やリスクが少ない状態へ研究が進んで欲
しいですね。
一般の治療現場へ活用される日が楽しみです。
 
参考:文部科学省再生医療の実現化プロジェクト
(http://www.stemcellproject.mext.go.jp/medi/contents01.html)

 金曜日の番組「モップガール」がまもなく最終回。
SFと言うのかな。思いを残して逝った人の無念を受け
とめて、過去へタイムトラベルしてしまう能力を持っ
た女性の物語でした。
深夜だからか、月曜日の「ガリレオ」ほどには流行らな
かったみたいだけれど、けっこう良かったです。
 
もうひとつ、過去へ戻るお話のビデオを観ました。
バタフライ・エフェクト
 バタフライ・エフェクト プレミアム・エディション [DVD]

 カオスとかフラクタルが流行った当時に話題になった
「蝶々が羽ばたくと海の向こうで嵐が起きる」などの
「初期のほんのわずかな違いが大きな変化をもたらす」
という概念を表す言葉がこの映画のタイトルです。
 
 内容は、
もう一度、もう一度・・・。と、過去を書き換える為に
記憶を旅する青年の話。
 
現実には、一回限りの人生だから、この映画の主人公
のような超能力を持っているのでなければ、やり直しは
きかないよね。
実際に決断してやってしまった事がら以外の、もしもそ
うしなかったら、ということを試してみる方法は残念だ
けれど無い。
 
 もしも、運命というものが生まれた時から決まってし
まう物ならば、未来はもう変えられないはず。
たとえば、川の上流からメッセージを入れた小ビンを
流してみたら、きっと複雑な計算だろうけれども、その
たどり着く先を予想することは可能かもしれません。
「必然」「確率」がすべてを決めてしまうのか。
今日という日のあなたの顔が、金太郎飴の一つの断面
ならば、その飴の先の方の断面が十年後のあなたの顔
になるかもしれない。
 
 でもね「人」は「物」じゃぁない。
流れて行くビンは受身だけれど、人には意思があるから、
工夫が出来る。
一歩ずつ踏みしめながら道を探せば、きっと違うルートが
見つかるはず。
過去に戻ってやり直せなくても、軌道修正は出来るし、
失敗を肥やしにだってできるのだから。
「自分は何者で、どこへ行くのか?」と自身に問い続け
ていることで、さらに自分らしく居られるようになる
のだと思う。
 
「自分がどうありたいか」が、人の進む道を変えてくれる
工夫の原動力なのかもしれません。
自分らしい道をさがして一歩ずつ歩いて行きましょう!